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渋谷の第二のシンボル!?「渋谷モヤイ像」は新島産

渋谷のシンボルといえばハチ公像!では、渋谷の第二のシンボルといえば?そう、渋谷モヤイ像です(ほんとか?。)

モヤイ像は新島から

渋谷モヤイ像は新島の特産品である抗火石(コーガ石)で作られた石像です。
イースター島にあるモアイ像に語感と雰囲気が似ていますが、発祥の由来はかなり別物です。

モヤイ像の『もやい』とは、「舫う」(船どうしや、船を港に係留するために綱で繋ぎ留める)や、「催合う/最合う」(複数人で力を合わせる、助け合う、共同作業をする、共同で使用する)という意味があります。新島では、島での団結や協力を象徴する言葉として使われています。

かつて大型船がそのまま桟橋に着岸できず、「はしけ」という連絡船で島と内地を行き来していた時代には、港の作業はまさに『もやい』の精神が必要な仕事の代表格でした。島で生活するためには、船がつかないと大変です。船の就航のために複数の島民で協力しあう必要があったわけです。

モヤイ像は、かつて新島観光協会会長であった故・大後友市さんが発案したものです。
離島ブームに湧く1960年代、初代観光協会理事に就任した大後氏は、お土産屋さんに並んでいるものに新島産が少ないことに気づき、新島オリジナルの商品として島でとれる抗火石を加工することを思いつきます。
当時のお土産品としてスタンダードであったこけしなどの彫り物の原料に、やわらかく加工が簡単で、島で豊富に採取できる「新島オリジナルのもの」として抗火石を使うことにしたのです。

その後、こけしだけでなく島の流人をイメージした巨大な像を島に作成したり、一般の島外の人を島に呼んでモヤイ像を彫ってもらう体験を実施するなど、島のプロモーションを兼ねてどんどんプロジェクトは進行。
そうしてモヤイ像はいち土産物から発展し、現在のような『新島を象徴するもの』となったのでした。

新島には人の顔以外のモヤイ像もたくさん。
陸の動物、海の動物、どーもくん(!?)もいます。

渋谷モヤイ像って誰なの?

渋谷モヤイ像は表と裏で顔がふたつあるのをご存知ですか?正面から見たときと、後ろにまわって見たときでまったく違う顔が彫ってあります。

正面からの顔は、彫りが深く髪が長い人になっています。これは新島の方言でいうところの『あんき(お兄さん)』で、サーファーのイメージなんだそう。

そして裏から見たときの顔は、正面と違ってヒゲが生えていて、ちょっと難しそうな顔つき。こちらは島でいう『いんじい(おじいさん)』で、新島に流されてきた流人をイメージしています。

ちなみに、島流しされてきた人というと重大犯罪!?という印象がありますが、全員が全員凶悪犯であったわけではなく、一例でいえば日蓮宗の日英上人(反鎌倉幕府運動で流刑。日蓮上人の伊豆法難と同じです)、新選組最後の局長といわれる相馬主計(伊東甲子太郎暗殺嫌疑により流刑)なども、新島に流されています。
時の政府から見た反対勢力の人や、政府にマイナスな信仰を持っており改宗しなかったことを理由に流刑となることも多かったようです。

渋谷モヤイ像の設置の経緯

渋谷モヤイ像は1980年に新島の東京都移管100年を記念して、新島から渋谷区へ寄贈されたことに始まります。いまも新島と渋谷の交流や友情の象徴として、多くの人々に親しまれています。

モヤイ像は、渋谷だけでなく、蒲田駅、竹芝桟橋、お台場海浜公園などにも設置されています!ぜひ探してみてくださいね🗿

参考文献:モヤイ 新島・島おこし

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この記事を書いた人

伊豆諸島専門WEBメディア「伊豆諸島ファン!」運営。島の情報発信をライフワークに、モデル・ライター・ガイド・アンバサダー・物産展売り子として活動。島への愛と行動力で、島を繋ぐ架け橋に!